最高裁判所第三小法廷 昭和50年(オ)621号 判決 1977年10月25日
上告人
岡山純一
右訴訟代理人
武田安紀彦
被上告人
三共自動車株式会社
右代表者
松村惇
右訴訟代理人
町彰義
主文
原判決及び第一審判決を次のとおり変更する。
一 被上告人は、上告人に対し、一七一三万五〇八五円及びこれに対する内金一二七一万九八七八円については昭和四五年三月一七日から、内金三七一万五二〇七円については昭和四九年一〇月一九日から、各支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
二 上告人のその余の請求を棄却する。
訴訟の総費用はこれを二分し、その一を上告人の、その余を被上告人の、各負担とする。
理由
上告代理人武田安紀彦の上告理由について
一労働者災害保険法に基づく保険給付の実質は、使用者の労働基準法上の災害補償義務を政府が保険給付の形式で行うものであつて、厚生年金保険法に基づく保険給付と同様、受給権者に対する損害の填補の性質をも有するから、事故が使用者の行為によつて生じた場合において、受給権者に対し、政府が労働者災害補償保険法に基づく保険給付をしたときは労働基準法八四条二項の規定を類推適用し、また、政府が厚生年金保険法に基づく保険給付をしたときは衡平の理念に照らし、使用者は、同一の事由については、その価額の限度において民法による損害賠償の責を免れると解するのが、相当である。そして、右のように政府が保険給付をしたことによつて、受給権者の使用者に対する損害賠償請求権が失われるのは、右保険給付が損害の填補の性質をも有する以上、政府が現実に保険金を給付して損害を填補したときに限られ、いまだ現実の給付がない以上、たとえ将来にわたり継続して給付されることが確定していても、受給権者は使用者に対し損害賠償の請求をするにあたり、このような将来の給付額を損害賠償債権額から控除することを要しないと解するのが、相当である(最高裁昭和五〇年(オ)第四三一号同五二年五月二七日第三小法廷判決(民集三一巻三号四二七頁登載予定)参照)。
二ところが、原審は、将来給付を受けるべき労働者災害補償保険法に基づく長期傷病補償給付と厚生年金保険法に基づく障害年金について、その現在価額をそれぞれ四七五万九一三二円、四六五万六一六七円と算出して右の合計九四一万五二九九円を上告人の逸失利益から控除し、上告人の被上告人に対する右請求を棄却したのである。ところで、原審の適法に確定したところによると、上告人は、長期傷病補償給付として昭和四六年二月から同年四八年一〇月まで年額二〇万八〇五〇円の割合による金員を、昭和四八年一一月から同四九年一〇月まで年額二三万〇八八一円を、障害年金として昭和四六年一一月から同四八一〇月まで年額一一万八二五六円を、同年一一月から同四九年一〇月まで年額二四万一四四七円を現実に支給されているのであつて、その合計が一二八万〇九七七円となることは計算上明らかである。
したがつて、原審の判断のうち、右九四一万五二九九円から上告人が現実に給付を受けた右一二八万〇九七七円を控除した八一三万四三二二円を上告人の逸失利益から控除した部分は、法令の解釈を誤つており、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
そして、原審の確定した事実によれば、被上告人は、上告人に対し、原審で認容した九〇〇万〇七六三円に右八一三万四三二二円を加算した一七一三万五〇八五円及びこれに対する内金一二七一万九八七八円については昭和四五年三月一七日から、内金三七一万五二〇七円(一七一三万五〇八五円から一二七一万九八七八円及び遅延損害金を請求していない弁護士費用七〇万円を控除した額)については昭和四九年一〇月一九日から、各支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員の支払義務のあることは明らかであるから、原判決及び第一審判決を主文第一項一、二のとおり変更すべきものである。
よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、九二条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(高辻正己 天野武一 江里口清雄 服部高顕 環昌一)
上告代理人武田安紀彦の上告理由
第一点 原判決は、労働基準法(以下労基法)第八四条の解釈並びに適用を誤り、判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄すべきである。
一、原判決は、上告人の逸失利益金の算定に際して、上告人が労働災害補償保険法(以下労災保険法)に基き将来にわたつて支給される長期傷病補償給付金(昭和八五年五月分まで)の総額の現価金四七五万九、一三二円を控除し、その根拠として労基法第八四条をあげる。しかしながら、原判決は左に述べるとおり労基法第八四条の解釈並びにその適用を誤つている。
二、本件の如く労災事故が、同時に使用者に対して民法上の規定に基く損害賠償請求ができる事故である場合において、その間の調整を定めているのは、労基法第八四条第二項である。同法第二項は、「使用者は、この法律による補償を行なつた場合においては、同一の事由についてその価格の限度において民法による損害賠償の責を免れる」と規定している。原判決は、上告人が労災保険法により将来にわたつて長期傷病給付金の支給を受けることになつているから、使用者である被上告人は労基法第八四条の規定に照らして将来にわたる右給付金を控除すると判示する。
しかしながら、本件は前記の如く労基法第八四条第二項の問題であるから、端的に将来にわたつて長期傷病給付金が支給されることが決まつている場合、使用者である被上告人は右規定の適用を受け、民法上の損害賠償において、将来にわたる右給付金の総額を控除できるか否かを決すべきであると考える。
三、将来にわたり支給される長期傷病給付金は、左に述べる理由により労基法第八四条第二項の適用を受けず、使用者である被上告人は、本件訴訟においては右給付金の総額を控除できない。
1 同法第二項を文理解釈すると、使用者が民法上の損害賠償の責を免れるのは、この法律による「補償を行つた」場合において「その価額の限度」においてである。
将来にわたる長期傷病給付金は、現実にはまだ支給されておらず、たとえ将来継続して定期的に給付されることが確定していたとしても、それは単なる期待権にすぎないから、今だこの段階においては文理解釈の上からも「補償を行つた」とは言えない。即ち、「補償を行つた」とは、現実の補償を終えたことを意味する完了型であると解すべきである。
2 原判決は、長期傷病給付金は被上告人が生活している限り六三才になる昭和八五年までの間、当然に支給されることを前提にしている。しかしながら、右給付金は労災保険法第一二条の八第三項に規定されているとおり、療養補償給付金を受けていた者が三年間経過してもなおらない時に「政府が必要と認める場合」に支給されるものであり、その限りにおいて裁量的であり、一度支給が決まつていても疾病が治癒するか、治癒しなくても症状が固定してそれ以上の医療効果が期待できない場合等には右給付金の支給が停止されることもある、非常に流動的なものである。
従つて、その点を考慮せず長年月にわたつて右給付金が支給されることを前提に、その総額を一括控除することは、あまりにも被害者である上告人に酷であり、公平に反する。
3 原判決の考え方に従えば、上告人が本件継続中に死亡した場合と、余命どおり生存した場合及び今後数年で死亡した場合との損害の算定に不公平を来し、画一性がない。
即ち、本件事件確定直後に上告人が死亡したと想定した場合、長期傷病給付金が停止されることは明らかである。しかしその代りに、労災事故による死亡として遺族補償年金が支給されるかどうかは、当局の認定を待たなければならない不利益がある。又、仮りに当局により労災事故による死亡との認定を受けたとしても、上告人は未婚であり、遺族である母親は上告人からの収入によつて生計を維持していたものではないから、労災保険法第一六条の二の要件に該当せず遺族補償年金は受けられないことになり、後遺症三級の重傷に引き続いての死亡にもかかわらず逸失利益としては原判決認定の金五五万二、七六三円(後記の厚生年金の控除も含めて)という僅かな金額しか受けられないことになり、不当である。(この場合、再訴を提起することは既判力にふれて許されないと考える。仮りに許されたとしても、それだけでも不利益である。)上告人が訴訟継続中死亡すれば何ら控除されないことと比較して、上告人の不利益は明らかである。なお本件の場合は、上告人の訴提起の時の症状と現在の症状を比較して、今後数年後に死亡する可能性も大である。
結局、流動的で多面的な規定の多い労災保険法により、将来支給される期待権にすぎない給付金を、民法の損害金から控除することに無理があるため、このような不公平が生じることになるものと考える。
原判決は被災労働者の二重填補を排除する意味から控除説を採つたものと思われるが、労災保険法はその第一条に規定されている如く、故意、過失を要件として損害填補を目的とする民法の損害賠償の規定とは異なり、労働者の公正な保護と福祉を目的とする社会保険であるから、ある場面で二重填補になる場合が生じたとしても、その分被災労働者の保護が厚くなることになるのであるから、将来の給付金を控除した場合の被災労働者の不利益を思うと、ある場面の二重填補も止むを得ないものと考える。
なお、労災保険法は第一二条の四の規定により第三者行為による損害の場合の調整を行ない、被災労働者の二重填補を排除しているようにも見えるが、一方その取扱いにつていは、昭和四一年六月一七日付労働基準局長の通達により、災害発生後三年経過後は事実上二重填補を認めた処理をしている。
四、よつて原判決は労基法第八四条第二項の解釈並びに適用を誤つているから破棄されるべきである。
第二点 原判決は、最高裁判所の判例(昭和四六年(オ)第八七八号昭和四六年一二月二日第一小法廷判決)に違反する。
一、最高裁判所第一小法廷は昭和四六年一二月二日、労災保険法旧第二〇条(法改正後の同法第一二条の四)の解釈につき「国が加害者に対する損害賠償請求権を代位取得するのは、現実に保険金を給付して被災労働者に対する損害の填補をなした時に限られると解するのが相当である」と判示した、原審の判断を支持する判決(以下、右最高裁判決)を下した。
原判決は、右最高裁判決は「第三者の不法行為にかかるものであつて、本件と事案を異にする」と判示して、上告人の前記第一点の主張を排斥した。
しかしながら、右最高裁判決は以下述べる理由により、本件においても適用されるべきものであり、これを適用しなかつた原判決は右最高裁判決に違反するものである。
二、労災保険法旧第二〇条の立法趣旨は、業務災害が第三者の不法行為によつて生じた場合、その第三者の民法上の損害賠償責任と災害補償法上の政府の労災補償責任とは相互補充の関係にあり、従つて同一の事由による損害の二重填補を排除するために規定されたものである。
一方、労基法第八四条の立法趣旨は、業務災害が使用者の責任によつて生じた場合、使用者に対する民法上の損害賠償責任と労災補償責任とが相互補充の関係にあり、同一事由による損害の二重填補を排除するために規定されたものである。
従つて、労災保険法旧第二〇条と労基法第八四条の立法趣旨は、いずれも被災労働者に対する損害の二重填補を排除するという点については基を同一にしているものであるから、その適用についても同様に考えなければならない場合がある筈であるし、本件は正にその一例であると思われる。しかるに原判決が本件について、右最高裁判決は事案を異にするとして上告人の主張を排斥したのは判例違反である。
なお、立法趣旨だけでなく、労災保険法旧第二〇条と労基法第八四条第二項の条文の規定の仕方およびその字句にも類似性が顕著であるから、その解釈において差異が生じるのは不自然である。
第三点 原判決は、厚生年金法の趣旨および衡平の原則を理由として、上告人の逸失利益の算定に際し、上告人が厚生年金法による障害年金として、既に受領している分および将来にわたつて支給される分をも含めて総額金四六五万六、一六七円を控除しているが、原判決には次に述べるとおりの理由不備および審理不尽の違法があり、判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄されるべきである。
一、原判決は、厚生年金法第一条、第四七条、第八二条を根拠として、「本件の如く使用者の業務に従事中起きた事故による負傷に基づき右障害年金を受けながら、右同一事故による労働能力喪失を理由として、右使用者に逸失利益の賠償を求めることは、右厚生年金制度の目的、障害年金の機能、その他衡平の原則等に照らし、許されないものと解するのが相当である」と判示する。
しかしながら、厚生年金法は労働者およびその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与する目的のために制定されたものであるなら、なぜに同一事故により使用者に対する民法上の賠償請求ができないのであろうか。厚生年金法による障害年金を受けられる範囲は、使用者に全く責任がない場合をも含まれておるのであるから、使用者に対して民法上の責任を問える場合には、別途請求できる道をも認める方が、被災労働者の保護もそれだけ厚くなり、同法の趣旨にも添うものと思われる。
原判決の立場に立てば、同一事故の場合には、被災労働者が厚生年金法の適用を受ければ、それが限度で使用者は民法上の責任を当然免れることになり、その意味では厚生年金法は使用者の保護のために制定された結果を認めることになるのではないかとの疑問が生じる。
又、保険料額を各被保険者と事業主である使用者が二分の一宛負担することになつていることが、なぜに使用者に対する民法上の責任を認めないことになるのか理解できない。
原判決の立場に立つても、障害年金の半額ならともかく全額できないとすることは、生命保険金が民法上の損害賠償額の控除の対象にならないこととの対比から言つても、不当であり理由がないものと思われる。
又、被災労働者が重傷に引き続き死亡した場合、障害年金は当然停止されることになるが、判決確定直後の死亡の場合を想定すると、一括控除がいかに不利益であるか明白である。
二、障害年金は、国民年金法によつて定められており(同法三〇条)、その要件は厚生年金法の四七条とほぼ同一である。国民年金法の立法趣旨は同法第一条、第二条に規定されており、厚生年金法と同一である。ただ、その対象が後者は労働者に限られているのに対して、前者はこれをも含む国民全体であることのみに差違があるにすぎない。
ところで、ある事件につき被害者が民法上の損害賠償責任がある加害者に対して、損害賠償を請求したと想定した場合、被害者がこの事故により国民年金法による障害年金を受けていることを理由に、損害額から障害年金の総額を控除しなければならないのであろうか。この点については、控除する必要はないとすることに異論はないと思われる。
ではなぜ、原判決は立法趣旨を同一とする厚生年金法による障害年金について控除説をとるのか、その合理的な理由は不明である。原判決の言うように制度の趣旨、目的からだけでは説明ができないものと考える。
三、厚生年金法には労災保険法第一二条の四の規定や、労基法第八四条の規定のような明文はない。労災保険法や労基法は明文があつても、前記第一点で述べたとおり、民法上の損害賠償金から労災保険金を控除することの適否についてその目的が異なることを理由に学説上争いがある。厚生年金法には明文がないと言うことは、法の趣旨としても厚生年金法により被災労働者に対し障害年金が支給されても、二重填補にならないとの立場を表明していると解すべきである。
即ち、厚生年金法による各種年金は、完全なる社会保険であり、損害賠償の対象にならないことを法自身が宣言していると見るべきである。
四、よつて、上告人の逸失利益金から厚生年金法による障害年金の総額を控除した原判決には、審理不尽および理由不備の違法があり、破棄を免れない。